〜「正常化」の裏にある「不正常化」・今後の問題点を考える〜 1972年9月29日、日本の田中角栄首相、大平正芳外相、および中国の周恩来総理・姫鵬飛外相らの間において、日中共同声明が署名され、日中の国交は回復されることになった。この国交回復は、通常「正常化」と呼ばれる。 では、正常化以前はどうであったか。正常でない、異常な状態であったということか。確かに、ある意味で異常であった。すなわち、まったく大陸を支配していない国民党政府(国府)を全中国の代表と認め、実質的に大陸を統治している共産党政府の支配権を認めていなかったのであるから、これは異常であったと言わざるを得ない。この意味において、まさに国交回復は「正常化」であり、これが1972年までずれ込んだことは、遅すぎたとも言える。フランスなどは、すでに1964年から北京との国交を回復していたのである。 しかし、日本と中国の関係のみならず、アジア全体を考えたときに、1972年以降がまったく「正常」であったのか、といえば、決してそうとはいえない。むしろ、1972年以降、かえって異常な状態になってしまった面もある。「台湾問題」だ。日中の関係は、このとき「正常化」し、両国の関係は安定化へ向かった。だが、台湾は見捨てられ、日本と台湾が国としての交流が絶たれただけではなく、中国の圧力によって、台湾の国旗や総統府をTV画面で流すことすら難しいといった、極めて不健全、かつ「不正常」なものとなってしまったのである。 「台湾問題」とは何か。私が報道等を総合的に見て感じることは、日本の立場から見れば、事実上(de facto)台湾が中国の一部分とはなっておらず、主権独立国家を構えているにも関わらず、中国がこれを承認せず、急速な軍備拡張を続け、戦争をも辞さない非平和的姿勢を取っていること、これが「台湾問題」の核心である。だが一方、中国の立場としては、日本(米国も同様)がこの中国の姿勢に必ずしも同意せず、台湾併合という現状変更には積極的ではなく、むしろ台湾の民主化を歓迎している点、さらに中国の武力行使に断固反対の立場をとっている点が、「台湾問題」なのである。また、「台湾問題」という言い方自体、若干の政治的偏向でもある。なぜなら、台湾の立場としては、問題の核心は中国の覇権主義であるから「中国問題」であって、台湾側の問題ではない、ということにもなる。一般に「台湾問題」と言わず、「両岸問題」と称する所以である。 日中共同声明中において、日中両国は、
と宣言している。この表現は、日本では通常、中国政府に譲歩しすぎであると批判されるが、ただそう簡単に言い切れない点もある。現実には他の西側諸国と中国との間の取り決めの表現も大差なく、しかも「承認」という言葉を日本が決して使わなかった点において、かならずしも日本が突出して中国に譲歩したとは言えない。また、台湾の帰属に関してはまだ未決定という議論も存在し、少なくとも日本が積極的に台湾の中華人民共和国への編入を促進する内容とはなっていないのである。しかしながら、この声明と続く台湾断交以降、日本と台湾という二つの国家が相互に承認を取りやめるという、新たな「異常」状態が発生してしまったのは確かであり、最低限、台湾関係法を整備して時間をかけて国交を回復した米国と比べれば、田中・大平は長期的見通しなく拙速であったとも言える。 中共・国府両方とは同時に国交を維持しないのは、北京の要請であったのみならず、「一つの中国」を堅持しようとした蒋介石の望みでもあった。しかしながら、断交とは、そもそも戦争を行うか、国家の消滅といった事態を前に行われるものであり、台湾という一国家と主要国が次々断交してしまうということ自体、地域に大きな不安定要素を抱え込むことになることは、明らかだったはずだ。 日中国交正常化は、東アジアにおける安全と経済的繁栄を確実にしてゆく契機として、貴重な一歩であり、慶賀すべきであることに、間違いはない。しかし、それが台湾という事実上の一国家との「断交」の上に成り立っていることは、やはり現在の東アジアが内包する歪みであり、安全保障上の不安定要因である。 多くの人々の犠牲の上にではあるが、日朝関係が、相互に国家承認していない、という異常状態を脱しつつあり、安全が確保されつつある現在、東アジアにおいて次に求められるのが台湾海峡の安定であることに、異論はないであろう。筆者は歴史研究者であって、政治家でも外交官でもないし、国際政治専門家ですらないから、その最も良い具体的な道筋を描くことはできない。また、台湾が今後、主権独立国家としての道を歩むのか、あるいは中国との一体化を選択するのかは、当事者たる台湾人自身の選択に委ねられるべきことであって、決して部外者である我々が口を挟むべき問題ではない。しかし、1972年の日中国交回復という、アジアにとっての安定化の大きな画期が、実は多くの課題を残したものであり、そのときから30年を経た現在、それらの課題をどう解決してゆくかが問われているのは確かであり、これは我々アジア研究に携わるもの一人ひとりが考えなくてはならない、問題である。
その他の頁: ○台湾人は戦後、共産党同様に「一つの中国」を主張し、実質的に独裁政治を行ってきた国民党に対する民主化運動が続けられてきたが、この民衆の政治的自由の獲得は主権独立国家としての台湾の独立に他ならなかった。この台湾の独立運動を簡単に追ったのが、「台湾独立運動図解」であるが、現在では少々古くなっている。 ○中国は共産党政権によって運用されているが、共産党・共産主義は、選挙による最高意思決定システムを持っておらず、民意を敏感に反映しにくいという点において、非常に脆弱である。経済成長を維持しつつある間は民衆の不満を吸収できるが、不況や失業が続いた場合など、選挙がない分、体制転覆につながる可能性は民主主義国家よりも高い。だが、中国の場合、代替的な政治勢力が見られないのである。そのような中で、一つの試論として、中国国民党大陸復帰論というのがある。その実現性は、台湾における国民党支持の低下=国民党弱体化で低下しつつあるように見えるが、興味深いので「中国共産党の動向と国民党の役割」において検討してみた。 ○台湾と中国の関係を考えるときに忘れてはならないのが、台湾人のアイデンティティである(「台湾アイデンティティを考える」)。自分で自分を「中国人」と考えていない人に対して「中国人」呼ばわりするのは、失礼であるし、逆に自分が「中国人」であると考える人に対して、「あなたは中国人ではない」、というのも、失礼である。これは政治と言う以前に、礼儀の問題である。
日中国交回復に関するリンク集: 東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室作成データ:
文献: (1)京都大学China3による、「日中国交」関連文献 (2)図書(資料集等) 書名 : 日華断交と日中国交正常化 / 田村重信, 豊島典雄, 小枝義人著 出版 : 東京 : 南窓社, 2000.10 書名 : 日中国交正常化に関する国民各層の意識・意見調査 / 新情報センター[編] 出版 : [出版地不明] : 新情報センター, 1972.8 書名 : 日中国交回復関係資料集 / 日中国交回復促進議員連盟編 出版 : 東京 : 日中国交資料委員会, 1972.11 書名 : 日中国交回復関係資料集 / 日中国交回復促進議員連盟編 出版 : 東京 : 日中国交資料委員会, 1974.1 書名 : 日中関係資料集 : 1945-1971年 出版 : 東京 : 日中国交回復促進議員連盟, 1967 書名 : 日中関係資料集 出版 : 東京 : 日中国交回復促進議員連盟, 1959.2 書名 : 日中関係資料集 : 1945-1971年 増補改定 出版 : 東京 : 日中国交回復促進議員連盟, 1971 書名 : 日中国交基本文献集 / 竹内実編 出版 : 町田 : 蒼蒼社, 1993.1-1993.2 書名 : 日中国交回復と吉田書簡 / 廉徳瑰[著] 出版 : 東京 : 富士ゼロックス小林節太郎記念基金, 2001.10 書名 : 入門・現代日本外交 : 日中国交正常化以後 / 友田錫著 出版 : 東京 : 中央公論社, 1988.8 中公新書 書名 : 周恩来の決断 : 日中国交正常化はこうして実現した / NHK取材班著 出版 : 東京 : 日本放送出版協会, 1993.3 書名 : 日中国交回復の秘話 : 日中国交正常化25周年記念 / 奈良日日新聞[編] 出版 : 奈良 : 奈良日日新聞社, 1997 書名 : 日中国交回復20年 : 解説・年表 / 国立国会図書館調査及び立法考査局 [編] 出版 : [東京 : 国立国会図書館調査及び立法考査局], 1992 調査と情報 200号 書名 : 日中友好, 日中国交回復連合 : 佐々木訪中友好使節団報告書 / 佐々木訪中友好使節団[編] 出版 : 東京 : 綜合政経懇話会, 1970 書名 : 8億の友人たち : 日中国交回復への道 / 鮫島敬治著 出版 : 東京 : 日本経済新聞社, 1971.9 書名 : 中国は一つ : 待ったなしの日中国交 / 大村立三著 出版 : 東京 : 東洋経済新報社, 1971 書名 : 日中白書 : 安保体制下の日中問題 出版 : 東京 : 日中国交回復国民会議, 1959.4 書名 : 中日関係史の新たな一章 出版 : 北京 : 外文出版社, 1972 書名 : 国際平和と善隣友好 出版 : 東京 : 日中日ロ国際平和推進連盟, 1993.3 書名 : 北京特派員 : 文化大革命から日中国交回復まで / 秋岡家栄著 出版 : 東京 : 朝日新聞社, 1973.8 書名 : 二つの中国はない : 日中国交回復国民会議訪華使節団中国訪問記 出版 : 東京 : 日中国交回復国民会議, 1957.12 書名 : 新安保条約をめぐって ; 高度経済成長 ; 沖縄返還と日中国交回復 出版 : 東京 : ほるぷ出版, 1996.11 新装改訂 書名 : 桜と牡丹 / 福田正秋著 出版 : 金沢 : 雷鳥短歌会, 1992.9 書名 : 日中の国交回復へ : 日本社会党訪中親善使節団報告書 / 日中国交回復特別委員会編集 出版 : [出版地不明] : 日中国交回復特別委員会 : 日本社会党教宣局出版部, [19--] 書名 : 日中国交回復兵庫県民会議結成大会議案 出版 : [神戸] : [出版者不明], [1971] 書名 : 平和五原則で日中国交回復を 出版 : 東京 : 日本共産党中央委員会機関紙経営局(発売), 1971.11 書名 : 日中国交回復即時実現 : 3000万署名を完遂しよう!! 出版 : 東京 : 日本中国友好協会, 1964.5 書名 : 日中問題の核心 : 日中国交回復への道 / 中国研究所編 出版 : 東京 : 日本中国友好協会, 1964.8 書名 : 日中国交回復への道 : 愛国正義の大運動を 出版 : 大阪 : 大阪平和を守る会, 1964.4 書名 : 日本と中国 : 日中国交回復の意味するもの / 岩井章[述] ; 日中国交回復千葉県民会議編集 出版 : 千葉 : 日中国交回復千葉県民会議, 1971.10 書名 : 日中国交回復は国民のこえ 改訂版 出版 : 東京 : 日本共産党中央委員会機関紙経営局(発売), 1971.10 書名 : 「日中国交回復運動」の実態 出版 : [出版地不明] : [出版者不明], 1964.4
|